「Echoes from New York!」オープニングトークショー

ニューヨーク在住の5人のアーティストによるグループ展「Echoes from New York!」が、5月3日からルーフミュージアム2階でスタート。開催を記念し、5月2日には参加アーティストである清水ちえ、田中さお、そして本展のキュレーションも務めた大岩オスカールの3名によるトークショーが開催された。彼らが活動の場としてニューヨークを選んだ理由や、日々の制作の話、そして今回発表した作品について、トークショーで語られた内容を収録した。



日本からアメリカ・ニューヨークへ
活動の場を移した理由

大岩オスカールさん(以下、大岩):アーティストの大岩オスカールと申します。僕はブラジルのサンパウロで生まれて、サンパウロ大学を出てから1991年に日本に来て、11年間住んでいました。そこから「日本を離れて国際的に活動したいな」と思い2002年にアメリカへ渡り、現在はニューヨークに住みながら、年に3回、2カ月ぐらいは日本に滞在する生活をしています。僕が日本に住んでいた20、30代の頃の繋がりがいまでも続いていて、そのおかけで展覧会に呼んでもらえたり、いろんな活動ができたりしています。

田中さおさん(以下、田中):こんにちは。田中さおと申します。私は日本生まれの日本育ちで、30歳過ぎまでずっと東京にいました。大学では多摩美術大学の絵画学科で日本画を専攻したあと、分野をガラリと変えて、一橋大学の大学院で文化人類学を学びました。その後は1度絵を描くことを辞めて、アートのオーガナイズのほうに興味があった時期もあったのですが、「また絵を描きたい」「それなら場所を変えてみたいな」と思い、コロナが始まる数カ月前の2019年の終わりにニューヨークに行きました。そこから3年ぐらいニューヨークにいますが、最初の2年はコロナ禍というとてもユニークな時期を経験することになりました。これからやっと普通のニューヨークらしい経験ができるのかなと思っているところです。

清水ちえさん(以下、清水):清水ちえと申します。横浜育ちです。1993年に東京藝術大学の工芸科を卒業して3年ほど日本で活動したあと、1996年から27年間、ずっとニューヨークに住んで活動しています。もともと工芸を専攻していたので、ニューヨークに渡った頃は油絵を制作していました。でも、ニューヨークに渡ってから石を掘ったり、人物像を作ってみたりしたことをきっかけに、いままでと違うスタイルで表現したいなと思うようになって。そこでもう一度、解剖学などを専門にしているニューヨークの大学に2年通い、いまのような作風になりました。


大岩:今回は5人のグループ展ですが、あとのふたりはビザや飛行機の都合で今回は日本に来られませんでした。牧田 愛さんはもともと東京出身で、日本の大学を出てから奨学金を利用してアメリカに行き、日本とアメリカを行ったり来たりしながら活動しています。もうひとり、フィロズ・マハムドというアーティストにも参加してもらいました。彼はバングラデシュ出身で、多摩美術大学の大学院に通ったあとに東京芸術大学の博士課程を卒業。日本に9年ほど住んだあと、いまはニューヨークで活動しているアーティストです。ニューヨーカーと言われる人たちの半分はどこか違う国から来た人たちなので、ニューヨークの展覧会をやるとなったら、やはり日本生まれではない人にも加わってもらいたいと思い声をかけました。
 ちょっと個人的な話をすると、僕の父と母が戦後にブラジルに移住して、向こうで知り合って結婚して僕が生まれました。日本人の両親だったから、家の中では日本語、生活はポルトガル語という環境で育ちました。大人になって日本に住み始め、改めて日本語を勉強しましたが、英語を覚えたのは30歳から1年間、ロンドンに留学した時です。2002年からニューヨークに住んでいますが、僕と同じように日本からアメリカに行って活動している人も大勢います。僕の父親世代のアーティストもいますし20、30代の若い人たちもたくさんいます。ポーラや文化庁、ACC(アジアン・カルチュラル・カウンシル)の奨学金を利用して行く人が多いですが、自分で勉強しようと思って行く人もいます。僕も20年前にACCを利用してニューヨークに行きましたが、当時は右も左もわからず、すごく苦労しました。みなさんはどうしてニューヨークに行ったんですか?

田中:先ほども話したように、私はまた制作活動をするなら場所を変えてやりたいと思ったので、海外に行くことにしました。そこで、コンテンポラリーアートをやるなら、マーケットの大きさでも、さまざまなアーティストに会えるという面でも、ニューヨークがいいと思ったんです。ヨーロッパに行くことも少し考えましたが、ドイツの学校はドイツ語を話せないと入れないので、英語を話せる場所ということで、消去法で選んだ部分も正直なところあります。でも、ニューヨークで注目されているアーティストに興味があったり、ニューヨークのオーディエンスの“観客の目”みたいなものが日本と違うものがあると感じたりしたこともあって、ニューヨークに行ってみたいと思いました。

清水:アーティストの友人たちがニューヨークに行く人達が多くて、海外に行くならニューヨークかなと思ったのがきっかけです。初めは1年ぐらい様子を見ようと思い行きましたが、住んでみたらすごく居心地がよくて、気づいたら27年経ってしまいました。アーティストもたくさんいますし、田中さんが言ったようにアーティストとオーディエンスの交流もオープンだし、移民がすごく多い街だから、いろんな国の人たちと一気に会えるし。ニューヨークはすごく面白い街で、どんどんのめり込んでいきました。

ニューヨークで活動する難しさと
1週間の制作サイクル

大岩:僕は2001年にニューヨークに行こうと思っていたら、9.11のテロ事件があったので、少し待って翌年の2002年6月に行きました。ニューヨークに着くと、タイムズ・スクエアではいっぱい人が遊んでいるし、レストランにも人が大勢いて、とても戦争をしている国には見えませんでした。あまりにも平和で。清水さんは、9.11の頃は何をしていましたか?

清水:解剖学を学んだ学校を卒業したあと、奨学金をもらってイタリアに3カ月ほど行って、帰ってきた翌週が9.11でした。ワールドトレードセンターの近くには10年ぐらい行かなかったです。特別に避けていたわけではないんですけどね。

大岩:新型コロナウイルスも、中国で始まってからヨーロッパで流行して、ヨーロッパに一番近いアメリカがニューヨークなのでウイルスが入ってきて、2020年の3月からコロナ禍になってしまった。ニューヨークは、いつも大事件の中心にありますよね。

田中:そうですね。私がニューヨークに渡ったのも、環境活動家で有名なグレタ・トゥーンベリさんのデモが盛んな時期で、街のいたるところで「環境問題! 環境問題!」みたいな状態でした。「これがアメリカか」と思っていたら、今度はコロナが流行って、パンデミックの最中にまた別のデモや暴動が起きて……。次から次へといろんなことが起こって、めまぐるしい街だなと思いました。

大岩:そういった面でも大変だけど、僕がニューヨークで大変だったのは、やっぱり物価が高いところですね。あと、一番大事なのがビザ。働けるビザがちゃんと取得できるかということと、ちゃんと稼いで生活できるかということは、とても重要です。僕の場合、奨学金をもらってアメリカに行って、3年目にはグリーンカード(永住資格証明)をもらうことができました。収入面では、おかげさまで日本とブラジルから展覧会や仕事が入っていたので、徐々にニューヨークでも生活できるようになっていきました。それぞれに悩むところが違うと思いますが、何に一番苦労しましたか?

清水:やっぱり生活費と家賃がものすごく高いので、自分のアトリエで作品を作る仕事と、生活費や家賃を稼ぐためのフリーランスの仕事とのバランスを取るのが難しいです。今回のように展覧会が決まって新しい作品を作るとなると、本当は毎日アトリエに通いたいんですけど、どうしてもほかの仕事が入ったりするので。

大岩:1週間のサイクルでいうと、どんな生活を送っているんですか?

清水:最近はフリーランスの仕事がコンスタントに週2、3日入っていて、残りの4、5日をアトリエで過ごしています。アトリエにいる日は、だいたい朝から夜中の12時ぐらいまで制作するので、家には寝に帰るだけですね。

田中:私も同じです。でも、最初の2年間は学生としてニューヨークの学校に通っていたので、学校のスケジュールに従うという感じでした。卒業したあとの1年間は、誰かに雇われていればもう1年アメリカにいられるというビザだったので、仕事をしたり、制作をしたり。オスカールさんは、朝から夜まで8時間制作されているんですよね。

大岩:日本にいた頃、最初の3、4年は会社員として建築の仕事をしていたので、だいたい8時半か9時から19時ぐらいまで会社で仕事をして、家に帰って20時か20時半から自分の制作をしていました。いまでも8時半か9時から18時か18時半まではアトリエで作業をして、家に帰って20時から22時ぐらいまではメールチェックなどの事務的な仕事をする、という会社員時代に身についたリズムでやっています。

田中:私がオスカールさんに初めてお会いした時に「週に何時間制作していますか?」と聞かれて、「40時間くらいかな」って答えたら、「それでは足りません、50、60時間くらいは制作してください」と言われたことを覚えています(笑)。

大岩:そうでしたか(笑)。アーティストによって時間の使い方はそれぞれだと思うけど、僕はそのようなスタイルでしたね。

田中:素晴らしい教えでした。

「Echos from New York!」で発表した作品に
5人が込めた想いとは

大岩:「ルーフミュージアムで展覧会をやらないか」と声をかけてもらった時に、ルーフミュージアムの向かい側にあるアートフロントギャラリーでも同時期に個展「大岩オスカール:My Ring」(5月28日まで)を開催することが決まっていたのでルーフミュージアムではグループ展をしようと思いました。僕はニューヨークで活動しているから、世代は違うけれど同じようにニューヨークで活動しているアーティストと展示をやりたいと思って、自分の作品のように物語性のある作品を作るアーティストに声をかけて、このような形になりました。「Echoes from New York!」を開催できてうれしく思っています。

田中:ニューヨークで活動しているアーティストが集まって、違うテーマを設定することもできたかもしれませんが、なぜテーマを“ニューヨーク”にされたのか、気になっています。

大岩:ニューヨークはふわっと明るい印象のある街なので、そんな雰囲気を展覧会で出せたらいいんじゃないかと思いました。歴史的なことや、戦後の文化の影響で〜とか、そういった堅苦しい展覧会にはしたくなかったので、自分が目で見て、作品がいいと思った人たちに声をかけました。

清水:オスカールとは長い付き合いですが、田中さんも含めてほかのアーティストとはまだ1、2回しか会ったことがなくて。でも、こうして作品を並べてみると、作品はひとつひとつ違っても共通するものがある気がしますね。いい展示になっていると思います。

大岩:自分の作品について、それぞれ説明しましょうか。僕は「スタジオシリーズ」という6点の作品を展示しています。僕はブラジルで生まれてから日本に住んだり、ニューヨークに住んだり、世界のあちこちに住んでいるので、さらに想像力を働かせて、“もし、違う時代、違う場所に生まれていたら、私の人生はどうなっていただろう?“というテーマで描きました。もし、自分が100年前のパリに生まれて、ピカソと友達になっていたら。もし、1920年代のミラノや、革命の時代のメキシコ、戦後のブラジル、1950年代の戦後の日本、ポップアートの時代のニューヨークに生まれていたら、どんなアトリエで絵を描いていたのか。それぞれの絵には文章を添えて、モニターでは絵に描いたアトリエを立体で再現したものを映しました。要するに、「スタジオシリーズ」は絵と文章とデジタルの3つの異なる要素でひとつの作品になっているのです。

田中:私の作品は「普遍的な風景」をテーマに描いています。哲学者である和辻哲郎さんの風土論に、人の文化の違いは風土や気候によって決められる、というような内容が書かれているのを読んで、逆に植物や生き物がいない、天候の違いもないような風景を描いたら、普遍的な風景になるんじゃないかと考えました。地球の始まりか、人がいなくなった何億年もあとの風景か、どこか違う星なのかわかりませんが、そんなことを考えながら描いた絵です。

清水:私はニューヨークに移り住んでから、日本の伝統や伝統芸能、文化をすごく意識するようになって、そういったものから影響を受けた作品を作っています。ニューヨークにはいろんな国から来た人がたくさん住んでいますが、みんな自分のバックグラウンドや母国の文化を大切にしているし、それを表に出すんです。だから逆に、ニューヨークに住んでから自分が日本人だということを意識する機会が増えて、自分も日本人として日本の文化を作品に活かしたいと思って、このような作風になりました。ただ、作品のモデルは日本人というわけではありません。いままで出会ったたくさんの人の生き方に影響を受けて、具現化したのがこの人物像なんです。

大岩:今回のトークショーには来られなかった牧田さんの作品についてお話しすると、彼女はもともとバイク乗りで、バイクの機械の部分が大好きなのだそうです。それを写実的に描くようになって、その延長でこのような作品を描くようになったと言っていました。今回展示した3点の作品では、車のライトを描いています。左側が日本車、右側がアメリカ製、真ん中はふたつが混ざったハイブリッドカー。制作過程は、初めにいろんな動画をパソコン上で合わせたものを作って、紙にプリントアウトします。それをキャンバスに当てて写して、紙を外して上から仕上げをすると説明していました。
 フィロズさんの作品については、小沢 剛先生にお話を伺いたいと思います。小沢先生は、フィロズさんが東京藝術大学の大学院に通っていた時に非常勤の先生をされていました。小沢先生、フィロズさんの作品について、急なお願いですがひと言いただけますか(笑)。

小沢 剛さん:無茶振りを(笑)。小沢と申します。フィロズの作品は、実は10年ぶりぐらいに観ましたが、当時の印象をよく思い出します。彼の作品の中に描かれているイメージは、昔のバングラデシュの歴史的人物や彼が所属していたエリアを示す生き物など、自分の文化にこだわったモチーフで、身近な素材でコラージュして作品にしています。今回出している作品も、いままでやってきたことが集合している作品だと思います。これはベンガルタイガーだと思うのですが、トラがすごく印象的で、好きな作品ですね。ドローイングやペインティングの輪郭や角を常に必ず歪ませるのも特徴ですね。
大岩:ありがとうございました。

小沢 剛
美術家。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授。大岩オスカールを含む昭和40年生まれのアーティストと結成したグループ「昭和40年会」として展覧会やイベントも行う。

今後の制作拠点について
ニューヨーク以外に選択肢はあるか

清水:京都だったら、ニューヨークと同じぐらい住んでみたいと思えます。私は仏像などを見るのが好きなので、日本の宝物が街中に溢れている京都が大好きなんです。ニューヨークに行く前に、2カ月ぐらい京都のアパートを借りて住んでいたこともありました。古いものだけが好きなわけではありませんが、作られてから何百年経っても手の感触が伝わってくるような木彫りや、お寺のつくり、庭……、言葉では説明できない、訴えかけてくるものが京都にはたくさんあるので、行くたびにすごくインスパイアされます。ただ、私は伝統的なものが好きだけど、伝統を守りたいわけではなくて。日本の伝統を自分なりに解釈して、自分のスタイルで表現して残していけたらいいなと思っています。

大岩:ニューヨークは、制作したり、仕事をしたり、勉強したりするにはいいところだと思います。でも、とてもお金がかかる街なので、常に忙しい生活をしなければいけないから、疲れますよね。ニューヨークで暮らしていた人が、物価が安くて暮らしやすい南のエリアに行くことも多いです。だからエレルギーがあるうちはいいけど、一生いるかどうかはわかりません。日本は食べ物もいいし、医療関係もいいけど、アート業界が狭い。逆にアメリカは、アートのマーケットは大きいけど、競争がすごく激しい。いいところがそれぞれありますよね。先のことはわかりませんが、いまはニューヨークで制作し続けようと思っています。

田中:私はいろんなところに移動するのが好きなので、場所としての興味だと、アジアが面白そうだなと思っています。特に西洋と東洋の文化がミックスしているような場所が好きだから、香港、上海、イスタンブールとか、その辺りで活動できたら面白そうだなとは思います。でも、ひとつの場所に何年かいて人間関係を作って、やっと個展や仕事の機会を得られたり、作品が溜まったりもするので、ある程度同じ場所にいて活動することも大切だと感じます。なので、当分はニューヨークで活動できたらいいですね。



photography Kase Kentaro
text Hiraiwa Mayuka

大岩オスカール(Oscar Oiwa)
1965年、ブラジル、サンパウロ生まれ。 サンパウロ大学建築都市学部卒業(1989年)。 1991年から2002年まで東京に住み、現在ニューヨークを拠点にアメリカ、南米、アジア、ヨーロッパで作品を展示。 毎年数ヶ月日本に滞在している。 大学在学中に初個展の後、第21回サンパウロ・ビエンナーレ(1991年)に参加。 デルフィナ・スタジオ財団アーティスト・イン・レジデンス賞(1995年)、ポロック・クラズナー財団(1997年)、ジョン・サイモン・グッゲンハイム記念財団(2001年)、アジアン・カルチュラル・カウンシル(2001年)、アドルフ&エスターゴットリーブ財団(2021年)他から助成を受けている。 主な個展:東京都現代美術館、福島県立美術館(2008年)、ジャパンハウス・サンパウロ(2018年)、金沢21世紀美術館、パリ日本文化会館(2019年)、USCパシフィックアジア美術館(2020年)。
Oscar Oiwa studio link: http://www.oscaroiwastudio.com

牧田愛(Ai Makita)
1985年生まれ。東京とニューヨークを拠点に活動するビジュアルアーティスト。油彩画、版画、インスタレーションを中心に活動している。2013年に東京藝術大学大学院美術研究科修士課程を修了し、その作品は東京藝術大学美術館のパーマネントコレクションに選定される。近年では、ニューヨークのレジデンスプログラムに参加し、その期間中に在ニューヨーク日本国総領事館の出展者に選ばれ、2ヶ月間絵画を展示。テラダ芸術賞(東京)、岡本太郎賞(東京)、ポーラ美術振興財団フェローシップ(東京)、ライクスアカデミー(アムステルダム)ファイナリスト、ART CAKE(ニューヨーク)、Residency Unlimited(ニューヨーク)、Varda Artist in Residency(ソーサリート)など数々の賞やフェローシップ、レジデンスプログラムを受けている。
Ai Makita studio link: https://www.ai-makita.com/

清水ちえ(Chié Shimizu)
1971年、日本生まれ。1993年東京藝術大学美術学部工芸科卒業、Salon De Printemps Prizeを受賞。1993−1995年の間に油彩、メタルの作品で東京、神奈川にてグループ展に参加も多数、個展を3度開催している。1996年よりニューヨーク在住。CUNY Kingsborough community collegeを経て、2001年New York Academy of Art修士課程彫刻科卒業、Travel study grant to the CHatesau de Balleroy, Normandy, France by HRH the prince of Wales and Forbes Foundationを受賞。その後ニューヨークのIsland Weiss Gallery, Mark Miller Gallery, Dillon Gallery, Booth Gallery, Fresh Window Gallery, WhiteBox galleryなどでグループ展、アートフェアに多数参加し、2022年にニューヨークでは初の個展をNowHere Galleryにて開催。清水の作品は北米を始め、ドイツ、トルコ、イスラエル、ペルー、日本など世界各国のプライベートコレクションに収蔵されている。現在、ニューヨーク、クイーンズを拠点に活動。
Chié Shimizu studio link: http://www.chieshimizu.com

フィロズ・マハムド(Firoz Mahmud)
1974年、バングラデシュ、クルナ生まれ。現在はニューヨークで活動中。ダッカ大学卒業。2003年、ライクスアカデミー・ヴァン・ベールデンデ・クンステンのリサーチプログラムに参加するため、アムステルダムに滞在。その後、多摩美術大学大学院修士課程(2007年)、東京藝術大学大学院博士課程(2011年)を卒業し、9年間東京に滞在。2011年、ACCフェローシップを受け、ISCP(International Studio and Curatorial Program, New York)に参加。主な展覧会に、第11回カイロ・ビエンナーレ(2008年)、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ(2006年、2009年)、あいちトリエンナーレ(2010年)、など。日本では、オオタファインアーツが代理店を務め、国際的に活躍するアーティストである。
Firoz Mahmud gallery link: https://www.otafinearts.com/artists/41-firoz

田中さお(Sao Tanaka)
1987年生まれ。東京とニューヨークを拠点に活動するビジュアルアーティスト。主に絵画、インスタレーションを制作している。多摩美術大学絵画学部にて日本画を学び、一橋大学大学院社会学研究科を修了。また、ニューヨークのSchool of Visual Artsでスタジオアーツとデジタル写真を学ぶ。ニューヨークのMizuma & Kip'sギャラリー、SVAギャラリー、韓国のASYAAFアートフェア、日本のBunkamuraギャラリー、広島市現代美術館で作品を発表し、アメリカ日本美術協会誌「Impressions Number 42 Part two Double Issue」に掲載される。三井ガーデンホテル六本木東京プレミアBALCON TOKYOの壁画制作を手がける。平泉キュレーター審査員賞、SHIBUYA ART AWARDS 2019、MFA Fine Arts Scholarship School of Visual Arts、入選 広島市現代美術館「アートプロジェクトのアイデア公募2018」、大賞 京都芸大「第5回21世紀アジアデザインコンペ」受賞。
Sao Tanaka studio link: https://www.saotanaka.com/

「Echoes from New York!」オープニングトークショー

ニューヨーク在住の5人のアーティストによるグループ展「Echoes from New York!」が、5月3日からルーフミュージアム2階でスタート。開催を記念し、5月2日には参加アーティストである清水ちえ、田中さお、そして本展のキュレーションも務めた大岩オスカールの3名によるトークショーが開催された。彼らが活動の場としてニューヨークを選んだ理由や、日々の制作の話、そして今回発表した作品について、トークショーで語られた内容を収録した。



日本からアメリカ・ニューヨークへ
活動の場を移した理由

大岩オスカールさん(以下、大岩):アーティストの大岩オスカールと申します。僕はブラジルのサンパウロで生まれて、サンパウロ大学を出てから1991年に日本に来て、11年間住んでいました。そこから「日本を離れて国際的に活動したいな」と思い2002年にアメリカへ渡り、現在はニューヨークに住みながら、年に3回、2カ月ぐらいは日本に滞在する生活をしています。僕が日本に住んでいた20、30代の頃の繋がりがいまでも続いていて、そのおかけで展覧会に呼んでもらえたり、いろんな活動ができたりしています。

田中さおさん(以下、田中):こんにちは。田中さおと申します。私は日本生まれの日本育ちで、30歳過ぎまでずっと東京にいました。大学では多摩美術大学の絵画学科で日本画を専攻したあと、分野をガラリと変えて、一橋大学の大学院で文化人類学を学びました。その後は1度絵を描くことを辞めて、アートのオーガナイズのほうに興味があった時期もあったのですが、「また絵を描きたい」「それなら場所を変えてみたいな」と思い、コロナが始まる数カ月前の2019年の終わりにニューヨークに行きました。そこから3年ぐらいニューヨークにいますが、最初の2年はコロナ禍というとてもユニークな時期を経験することになりました。これからやっと普通のニューヨークらしい経験ができるのかなと思っているところです。

清水ちえさん(以下、清水):清水ちえと申します。横浜育ちです。1993年に東京藝術大学の工芸科を卒業して3年ほど日本で活動したあと、1996年から27年間、ずっとニューヨークに住んで活動しています。もともと工芸を専攻していたので、ニューヨークに渡った頃は油絵を制作していました。でも、ニューヨークに渡ってから石を掘ったり、人物像を作ってみたりしたことをきっかけに、いままでと違うスタイルで表現したいなと思うようになって。そこでもう一度、解剖学などを専門にしているニューヨークの大学に2年通い、いまのような作風になりました。


大岩:今回は5人のグループ展ですが、あとのふたりはビザや飛行機の都合で今回は日本に来られませんでした。牧田 愛さんはもともと東京出身で、日本の大学を出てから奨学金を利用してアメリカに行き、日本とアメリカを行ったり来たりしながら活動しています。もうひとり、フィロズ・マハムドというアーティストにも参加してもらいました。彼はバングラデシュ出身で、多摩美術大学の大学院に通ったあとに東京芸術大学の博士課程を卒業。日本に9年ほど住んだあと、いまはニューヨークで活動しているアーティストです。ニューヨーカーと言われる人たちの半分はどこか違う国から来た人たちなので、ニューヨークの展覧会をやるとなったら、やはり日本生まれではない人にも加わってもらいたいと思い声をかけました。
 ちょっと個人的な話をすると、僕の父と母が戦後にブラジルに移住して、向こうで知り合って結婚して僕が生まれました。日本人の両親だったから、家の中では日本語、生活はポルトガル語という環境で育ちました。大人になって日本に住み始め、改めて日本語を勉強しましたが、英語を覚えたのは30歳から1年間、ロンドンに留学した時です。2002年からニューヨークに住んでいますが、僕と同じように日本からアメリカに行って活動している人も大勢います。僕の父親世代のアーティストもいますし20、30代の若い人たちもたくさんいます。ポーラや文化庁、ACC(アジアン・カルチュラル・カウンシル)の奨学金を利用して行く人が多いですが、自分で勉強しようと思って行く人もいます。僕も20年前にACCを利用してニューヨークに行きましたが、当時は右も左もわからず、すごく苦労しました。みなさんはどうしてニューヨークに行ったんですか?

田中:先ほども話したように、私はまた制作活動をするなら場所を変えてやりたいと思ったので、海外に行くことにしました。そこで、コンテンポラリーアートをやるなら、マーケットの大きさでも、さまざまなアーティストに会えるという面でも、ニューヨークがいいと思ったんです。ヨーロッパに行くことも少し考えましたが、ドイツの学校はドイツ語を話せないと入れないので、英語を話せる場所ということで、消去法で選んだ部分も正直なところあります。でも、ニューヨークで注目されているアーティストに興味があったり、ニューヨークのオーディエンスの“観客の目”みたいなものが日本と違うものがあると感じたりしたこともあって、ニューヨークに行ってみたいと思いました。

清水:アーティストの友人たちがニューヨークに行く人達が多くて、海外に行くならニューヨークかなと思ったのがきっかけです。初めは1年ぐらい様子を見ようと思い行きましたが、住んでみたらすごく居心地がよくて、気づいたら27年経ってしまいました。アーティストもたくさんいますし、田中さんが言ったようにアーティストとオーディエンスの交流もオープンだし、移民がすごく多い街だから、いろんな国の人たちと一気に会えるし。ニューヨークはすごく面白い街で、どんどんのめり込んでいきました。

ニューヨークで活動する難しさと
1週間の制作サイクル

大岩:僕は2001年にニューヨークに行こうと思っていたら、9.11のテロ事件があったので、少し待って翌年の2002年6月に行きました。ニューヨークに着くと、タイムズ・スクエアではいっぱい人が遊んでいるし、レストランにも人が大勢いて、とても戦争をしている国には見えませんでした。あまりにも平和で。清水さんは、9.11の頃は何をしていましたか?

清水:解剖学を学んだ学校を卒業したあと、奨学金をもらってイタリアに3カ月ほど行って、帰ってきた翌週が9.11でした。ワールドトレードセンターの近くには10年ぐらい行かなかったです。特別に避けていたわけではないんですけどね。

大岩:新型コロナウイルスも、中国で始まってからヨーロッパで流行して、ヨーロッパに一番近いアメリカがニューヨークなのでウイルスが入ってきて、2020年の3月からコロナ禍になってしまった。ニューヨークは、いつも大事件の中心にありますよね。

田中:そうですね。私がニューヨークに渡ったのも、環境活動家で有名なグレタ・トゥーンベリさんのデモが盛んな時期で、街のいたるところで「環境問題! 環境問題!」みたいな状態でした。「これがアメリカか」と思っていたら、今度はコロナが流行って、パンデミックの最中にまた別のデモや暴動が起きて……。次から次へといろんなことが起こって、めまぐるしい街だなと思いました。

大岩:そういった面でも大変だけど、僕がニューヨークで大変だったのは、やっぱり物価が高いところですね。あと、一番大事なのがビザ。働けるビザがちゃんと取得できるかということと、ちゃんと稼いで生活できるかということは、とても重要です。僕の場合、奨学金をもらってアメリカに行って、3年目にはグリーンカード(永住資格証明)をもらうことができました。収入面では、おかげさまで日本とブラジルから展覧会や仕事が入っていたので、徐々にニューヨークでも生活できるようになっていきました。それぞれに悩むところが違うと思いますが、何に一番苦労しましたか?

清水:やっぱり生活費と家賃がものすごく高いので、自分のアトリエで作品を作る仕事と、生活費や家賃を稼ぐためのフリーランスの仕事とのバランスを取るのが難しいです。今回のように展覧会が決まって新しい作品を作るとなると、本当は毎日アトリエに通いたいんですけど、どうしてもほかの仕事が入ったりするので。

大岩:1週間のサイクルでいうと、どんな生活を送っているんですか?

清水:最近はフリーランスの仕事がコンスタントに週2、3日入っていて、残りの4、5日をアトリエで過ごしています。アトリエにいる日は、だいたい朝から夜中の12時ぐらいまで制作するので、家には寝に帰るだけですね。

田中:私も同じです。でも、最初の2年間は学生としてニューヨークの学校に通っていたので、学校のスケジュールに従うという感じでした。卒業したあとの1年間は、誰かに雇われていればもう1年アメリカにいられるというビザだったので、仕事をしたり、制作をしたり。オスカールさんは、朝から夜まで8時間制作されているんですよね。

大岩:日本にいた頃、最初の3、4年は会社員として建築の仕事をしていたので、だいたい8時半か9時から19時ぐらいまで会社で仕事をして、家に帰って20時か20時半から自分の制作をしていました。いまでも8時半か9時から18時か18時半まではアトリエで作業をして、家に帰って20時から22時ぐらいまではメールチェックなどの事務的な仕事をする、という会社員時代に身についたリズムでやっています。

田中:私がオスカールさんに初めてお会いした時に「週に何時間制作していますか?」と聞かれて、「40時間くらいかな」って答えたら、「それでは足りません、50、60時間くらいは制作してください」と言われたことを覚えています(笑)。

大岩:そうでしたか(笑)。アーティストによって時間の使い方はそれぞれだと思うけど、僕はそのようなスタイルでしたね。

田中:素晴らしい教えでした。

「Echoes from New York!」で発表した作品に
5人が込めた想いとは

大岩:「ルーフミュージアムで展覧会をやらないか」と声をかけてもらった時に、ルーフミュージアムの向かい側にあるアートフロントギャラリーでも同時期に個展「大岩オスカール:My Ring」(5月28日まで)を開催することが決まっていたのでルーフミュージアムではグループ展をしようと思いました。僕はニューヨークで活動しているから、世代は違うけれど同じようにニューヨークで活動しているアーティストと展示をやりたいと思って、自分の作品のように物語性のある作品を作るアーティストに声をかけて、このような形になりました。「Echoes from New York!」を開催できてうれしく思っています。

田中:ニューヨークで活動しているアーティストが集まって、違うテーマを設定することもできたかもしれませんが、なぜテーマを“ニューヨーク”にされたのか、気になっています。

大岩:ニューヨークはふわっと明るい印象のある街なので、そんな雰囲気を展覧会で出せたらいいんじゃないかと思いました。歴史的なことや、戦後の文化の影響で〜とか、そういった堅苦しい展覧会にはしたくなかったので、自分が目で見て、作品がいいと思った人たちに声をかけました。

清水:オスカールとは長い付き合いですが、田中さんも含めてほかのアーティストとはまだ1、2回しか会ったことがなくて。でも、こうして作品を並べてみると、作品はひとつひとつ違っても共通するものがある気がしますね。いい展示になっていると思います。

大岩:自分の作品について、それぞれ説明しましょうか。僕は「スタジオシリーズ」という6点の作品を展示しています。僕はブラジルで生まれてから日本に住んだり、ニューヨークに住んだり、世界のあちこちに住んでいるので、さらに想像力を働かせて、“もし、違う時代、違う場所に生まれていたら、私の人生はどうなっていただろう?“というテーマで描きました。もし、自分が100年前のパリに生まれて、ピカソと友達になっていたら。もし、1920年代のミラノや、革命の時代のメキシコ、戦後のブラジル、1950年代の戦後の日本、ポップアートの時代のニューヨークに生まれていたら、どんなアトリエで絵を描いていたのか。それぞれの絵には文章を添えて、モニターでは絵に描いたアトリエを立体で再現したものを映しました。要するに、「スタジオシリーズ」は絵と文章とデジタルの3つの異なる要素でひとつの作品になっているのです。

田中:私の作品は「普遍的な風景」をテーマに描いています。哲学者である和辻哲郎さんの風土論に、人の文化の違いは風土や気候によって決められる、というような内容が書かれているのを読んで、逆に植物や生き物がいない、天候の違いもないような風景を描いたら、普遍的な風景になるんじゃないかと考えました。地球の始まりか、人がいなくなった何億年もあとの風景か、どこか違う星なのかわかりませんが、そんなことを考えながら描いた絵です。

清水:私はニューヨークに移り住んでから、日本の伝統や伝統芸能、文化をすごく意識するようになって、そういったものから影響を受けた作品を作っています。ニューヨークにはいろんな国から来た人がたくさん住んでいますが、みんな自分のバックグラウンドや母国の文化を大切にしているし、それを表に出すんです。だから逆に、ニューヨークに住んでから自分が日本人だということを意識する機会が増えて、自分も日本人として日本の文化を作品に活かしたいと思って、このような作風になりました。ただ、作品のモデルは日本人というわけではありません。いままで出会ったたくさんの人の生き方に影響を受けて、具現化したのがこの人物像なんです。

大岩:今回のトークショーには来られなかった牧田さんの作品についてお話しすると、彼女はもともとバイク乗りで、バイクの機械の部分が大好きなのだそうです。それを写実的に描くようになって、その延長でこのような作品を描くようになったと言っていました。今回展示した3点の作品では、車のライトを描いています。左側が日本車、右側がアメリカ製、真ん中はふたつが混ざったハイブリッドカー。制作過程は、初めにいろんな動画をパソコン上で合わせたものを作って、紙にプリントアウトします。それをキャンバスに当てて写して、紙を外して上から仕上げをすると説明していました。
 フィロズさんの作品については、小沢 剛先生にお話を伺いたいと思います。小沢先生は、フィロズさんが東京藝術大学の大学院に通っていた時に非常勤の先生をされていました。小沢先生、フィロズさんの作品について、急なお願いですがひと言いただけますか(笑)。

小沢 剛さん:無茶振りを(笑)。小沢と申します。フィロズの作品は、実は10年ぶりぐらいに観ましたが、当時の印象をよく思い出します。彼の作品の中に描かれているイメージは、昔のバングラデシュの歴史的人物や彼が所属していたエリアを示す生き物など、自分の文化にこだわったモチーフで、身近な素材でコラージュして作品にしています。今回出している作品も、いままでやってきたことが集合している作品だと思います。これはベンガルタイガーだと思うのですが、トラがすごく印象的で、好きな作品ですね。ドローイングやペインティングの輪郭や角を常に必ず歪ませるのも特徴ですね。
大岩:ありがとうございました。

小沢 剛
美術家。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授。大岩オスカールを含む昭和40年生まれのアーティストと結成したグループ「昭和40年会」として展覧会やイベントも行う。

今後の制作拠点について
ニューヨーク以外の選択肢はあるか

清水:京都だったら、ニューヨークと同じぐらい住んでみたいと思えます。私は仏像などを見るのが好きなので、日本の宝物が街中に溢れている京都が大好きなんです。ニューヨークに行く前に、2カ月ぐらい京都のアパートを借りて住んでいたこともありました。古いものだけが好きなわけではありませんが、作られてから何百年経っても手の感触が伝わってくるような木彫りや、お寺のつくり、庭……、言葉では説明できない、訴えかけてくるものが京都にはたくさんあるので、行くたびにすごくインスパイアされます。ただ、私は伝統的なものが好きだけど、伝統を守りたいわけではなくて。日本の伝統を自分なりに解釈して、自分のスタイルで表現して残していけたらいいなと思っています。

大岩:ニューヨークは、制作したり、仕事をしたり、勉強したりするにはいいところだと思います。でも、とてもお金がかかる街なので、常に忙しい生活をしなければいけないから、疲れますよね。ニューヨークで暮らしていた人が、物価が安くて暮らしやすい南のエリアに行くことも多いです。だからエレルギーがあるうちはいいけど、一生いるかどうかはわかりません。日本は食べ物もいいし、医療関係もいいけど、アート業界が狭い。逆にアメリカは、アートのマーケットは大きいけど、競争がすごく激しい。いいところがそれぞれありますよね。先のことはわかりませんが、いまはニューヨークで制作し続けようと思っています。

田中:私はいろんなところに移動するのが好きなので、場所としての興味だと、アジアが面白そうだなと思っています。特に西洋と東洋の文化がミックスしているような場所が好きだから、香港、上海、イスタンブールとか、その辺りで活動できたら面白そうだなとは思います。でも、ひとつの場所に何年かいて人間関係を作って、やっと個展や仕事の機会を得られたり、作品が溜まったりもするので、ある程度同じ場所にいて活動することも大切だと感じます。なので、当分はニューヨークで活動できたらいいですね。



photography Kase Kentaro
text Hiraiwa Mayuka

大岩オスカール(Oscar Oiwa)
1965年、ブラジル、サンパウロ生まれ。 サンパウロ大学建築都市学部卒業(1989年)。 1991年から2002年まで東京に住み、現在ニューヨークを拠点にアメリカ、南米、アジア、ヨーロッパで作品を展示。 毎年数ヶ月日本に滞在している。 大学在学中に初個展の後、第21回サンパウロ・ビエンナーレ(1991年)に参加。 デルフィナ・スタジオ財団アーティスト・イン・レジデンス賞(1995年)、ポロック・クラズナー財団(1997年)、ジョン・サイモン・グッゲンハイム記念財団(2001年)、アジアン・カルチュラル・カウンシル(2001年)、アドルフ&エスターゴットリーブ財団(2021年)他から助成を受けている。 主な個展:東京都現代美術館、福島県立美術館(2008年)、ジャパンハウス・サンパウロ(2018年)、金沢21世紀美術館、パリ日本文化会館(2019年)、USCパシフィックアジア美術館(2020年)。
Oscar Oiwa studio link: http://www.oscaroiwastudio.com

牧田愛(Ai Makita)
1985年生まれ。東京とニューヨークを拠点に活動するビジュアルアーティスト。油彩画、版画、インスタレーションを中心に活動している。2013年に東京藝術大学大学院美術研究科修士課程を修了し、その作品は東京藝術大学美術館のパーマネントコレクションに選定される。近年では、ニューヨークのレジデンスプログラムに参加し、その期間中に在ニューヨーク日本国総領事館の出展者に選ばれ、2ヶ月間絵画を展示。テラダ芸術賞(東京)、岡本太郎賞(東京)、ポーラ美術振興財団フェローシップ(東京)、ライクスアカデミー(アムステルダム)ファイナリスト、ART CAKE(ニューヨーク)、Residency Unlimited(ニューヨーク)、Varda Artist in Residency(ソーサリート)など数々の賞やフェローシップ、レジデンスプログラムを受けている。
Ai Makita studio link: https://www.ai-makita.com/

清水ちえ(Chié Shimizu)
1971年、日本生まれ。1993年東京藝術大学美術学部工芸科卒業、Salon De Printemps Prizeを受賞。1993−1995年の間に油彩、メタルの作品で東京、神奈川にてグループ展に参加も多数、個展を3度開催している。1996年よりニューヨーク在住。CUNY Kingsborough community collegeを経て、2001年New York Academy of Art修士課程彫刻科卒業、Travel study grant to the CHatesau de Balleroy, Normandy, France by HRH the prince of Wales and Forbes Foundationを受賞。その後ニューヨークのIsland Weiss Gallery, Mark Miller Gallery, Dillon Gallery, Booth Gallery, Fresh Window Gallery, WhiteBox galleryなどでグループ展、アートフェアに多数参加し、2022年にニューヨークでは初の個展をNowHere Galleryにて開催。清水の作品は北米を始め、ドイツ、トルコ、イスラエル、ペルー、日本など世界各国のプライベートコレクションに収蔵されている。現在、ニューヨーク、クイーンズを拠点に活動。
Chié Shimizu studio link: http://www.chieshimizu.com

フィロズ・マハムド(Firoz Mahmud)
1974年、バングラデシュ、クルナ生まれ。現在はニューヨークで活動中。ダッカ大学卒業。2003年、ライクスアカデミー・ヴァン・ベールデンデ・クンステンのリサーチプログラムに参加するため、アムステルダムに滞在。その後、多摩美術大学大学院修士課程(2007年)、東京藝術大学大学院博士課程(2011年)を卒業し、9年間東京に滞在。2011年、ACCフェローシップを受け、ISCP(International Studio and Curatorial Program, New York)に参加。主な展覧会に、第11回カイロ・ビエンナーレ(2008年)、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ(2006年、2009年)、あいちトリエンナーレ(2010年)、など。日本では、オオタファインアーツが代理店を務め、国際的に活躍するアーティストである。
Firoz Mahmud gallery link: https://www.otafinearts.com/artists/41-firoz

田中さお(Sao Tanaka)
1987年生まれ。東京とニューヨークを拠点に活動するビジュアルアーティスト。主に絵画、インスタレーションを制作している。多摩美術大学絵画学部にて日本画を学び、一橋大学大学院社会学研究科を修了。また、ニューヨークのSchool of Visual Artsでスタジオアーツとデジタル写真を学ぶ。ニューヨークのMizuma & Kip'sギャラリー、SVAギャラリー、韓国のASYAAFアートフェア、日本のBunkamuraギャラリー、広島市現代美術館で作品を発表し、アメリカ日本美術協会誌「Impressions Number 42 Part two Double Issue」に掲載される。三井ガーデンホテル六本木東京プレミアBALCON TOKYOの壁画制作を手がける。平泉キュレーター審査員賞、SHIBUYA ART AWARDS 2019、MFA Fine Arts Scholarship School of Visual Arts、入選 広島市現代美術館「アートプロジェクトのアイデア公募2018」、大賞 京都芸大「第5回21世紀アジアデザインコンペ」受賞。
Sao Tanaka studio link: https://www.saotanaka.com/